愛の手袋
いったいどこの三文小説で覚えたのだろう、近頃カノジョは主張することを覚えた。それまでのカノジョは、どちらかというと、なんでも受け入れる、物足りないほどの素直な女だった。もちろん、カノジョにも好きなものはあったと思うし、意思もあったと思うけど、それがどんなものだったのか今のオレには思い出せないほど、正面きって主張することがなかった。
ある日、カノジョは突然、女だってベッドの中の事をいろいろ注文する必要を感じだ、それがお互いのセックスをより良くするのだから、みたいなことを言い出した。それを言い出した時はオレもそうだなと納得した。男の好きなままにされる女なんてものは、テレビん中のAV嬢かダッチで十分な気がしていたからだ。オレは特に女に尽くすタイプでもなかったけど、それでも、もし相手が「こうしてくれた方が感じるの」というのなら、それを試みるだけの度量は持っているつもりだった。
ところでカノジョは、顔は結構時流にのっていて可愛かったし、数字や計算の類と英語に関してはオレなんか頭が上がらないくらいだったが、でも、やっぱり頭は良くはなかった。つまり、「先に発展しそうな主張」と「単なる文句」の区別がつかなかったのである。カノジョは、まずオレの愛撫の下手さをなじった。オレはオレなりに工夫しているつもりだったけど、カノジョに言わせれば、ちっとも感じないんだそうだ。オレとしては、じゃあ、どこをどうすればオマエは感じるんだ、と思うわけだけど、カノジョの返事はいつも要領を得ない。要領を得ない返答を前に、オレのテクが簡単に上達するはずもなかった。
他にもカノジョはオレとのセックスの不満点をいろいろ並び立てて、その中には、どうやっても改善できないものまであって、ならオマエだって、もっとデッカイおっぱいになれってオレが言い返せば、今は微乳の時代なの、ととぼけてみたり、アナタの望んでいることで、私の舌を攣らせる気? とすごんでみせたりするので、オレとカノジョの関係は急にギクシャクしてきた。今まで、しょっちゅうオレの下宿に泊まりに来ていたのに、その頻度も減ってしまった。けれど、オレはまだカノジョを愛しているつもりだったし、その気持ちと釣り合うのはまさに恋愛のマジックな気がするけど、友達に紹介すると決まって賛嘆を受けるカノジョを誇りに思っていたこともあって、別れる気にはなれなかった。そこで、オレはカノジョがいろいろ並べ立てた不満の中で、せめて愛撫に関するものだけは改善を試みようと考えるに至った。そして、折も折、深夜番組を見ていたオレは、まさにオレのために開発された商品のテレビCMを発見してしまったのである。
それはフィンガーウェーブという、弓篭手みたいな紫色の手袋であった。しかし手袋にはコードがついていて、説明によると、手にはめてスイッチを入れると、手袋のコンチネンタルマジックで指先に微妙な振動が発生し、その振るえる手を首筋や肩にあてると、素晴らしいマッサージ効果が得られるのだそうだ。でも、そのCMを見たとき、オレは一瞬にして別のことに想像がいってしまった。それについては敢えて書くまい。ただ、これは男女兼用になるなとも思った。
給料日前の一万円は痛かったが、加藤鷹張りのゴールデンフィンガーを得るためには、それも大した犠牲じゃないような気がした。現にオレはゴールデンフィンガーを必要としているのだ!!
2週間ほどして、手袋を手に入れたオレは、珍しく本気を出して、手袋の使い方を一日半でマスターした。実験をするのがオレなら、実験台もオレだったが、はっきり言って、この2日間のオレの道具に関する上達ぶりはドラえもんののび太に勝るものがあった。フランス語のfaireの活用が未だに分からないくせに、道具の使い方に感じては天賦の才能を発揮した。オレは汗と栄養剤とティッシュに囲まれながら、プロフェッショナルを自負するに憚らないくらいの自信を得るまでになった。この道具で、オレは最高の愛撫をカノジョに与えることができる。そして、カノジョはオレの愛撫に身をクネクネさせて喜ぶだろう。
3日後、電話で強引に呼んだ彼女に、道具とオレのゴールデンテクニックをまざまざと見せつけた。初めカノジョは道具を怪しみ、道具を用いるオレを怪しんだ。けれど、オレの指のさざなみを前に、いつまでも不審な態度を取っていられるはずもなかった。
「いい!! 信じられない!!」
息も絶え絶えのカノジョの台詞をつなげると、まず第一声がこれだった。カノジョは、体に電気が走ったかのように、ビク、ビク、と動いたり、身をくねらせたる、かすれた艶っぽい声をあげたりしながら、張り型とも最終兵器とも違う、血液の通った肉指の繊細かつ大胆な愛撫に狂っていた。
「すごい!! こんなに…」いろいろな愛撫ははじめて、とオレは解釈した。そして、それは多分正しいのだろう。まさにオレの愛撫は千変万化した。その中で、カノジョの悶え方もある時は恥じらいも忘れるほどかと思えば、ある時は天国の心地良さに身をゆだねるといった調子だった。カノジョは体を弓なりに反らせたり、身をよじったり、内股になったり、ゆっくりと伸ばしたりする。オレはカノジョの最後の砦から溢れる蜜を指に掬い取りながら、おお、これぞまさしく欲望の果汁100%ジュースだとつぶやいて悦に入っていた。
そして、黄金の愛撫から始まったオレのセックスは、勝利につぐ勝利を重ね、今、高らかにフィニッシュを迎えようとしていた。
オレもいつになく野性的な声をあげて、カノジョの胸に倒れこんだ。心地よい疲労感とカノジョをイカせ続けた満足感に酔いしれていた。オレは荒い息を整えながら、まだ胸で呼吸をしているカノジョに、よかっただろ? と尋ねた。こんなことをセックスの後に聞くのは甚だ野暮だが、男には時にこう聞きたい時だってあるのだ。そして、まさに今回がそれで、オレはカノジョが素敵だったと涙目で答えるであろう10数秒先のことまで想像するのだった。
でも、カノジョの返事は想像を絶するものだった。
「やっぱり、他にオンナがいるんだ」
それから、カノジョはヒステリックにオレの不誠実さをなじった。カノジョは、オレが急にこれほどセックスが上達するはずはなく、先ほどの秘儀は誰かから教え込まれたに違いないと考えた。そして、挙句の果てには、最近二人の仲が疎遠になった間に新しいヤリ女に二股をかけて、その女とズコズコよろしくやってるんだと口汚くオレを罵った。それがあまりに理不尽だったので、オレは自分の正当性を述べて、今日のための特訓を少しばかり恩着せがましくカノジョに説明した。それがいけなかった。女はいつにおいても男の上にいないと満足しないものだが、セックスにおいては特にそうである、という傾向と、それを理解しない男への対処法を、カノジョは三文雑誌から既に入手していたのだ。カノジョはいたく立腹して、服をかき集めると、止めようとするオレに豪快な平手打ちを食らわして、オレのアパートを出ていってしまった。
こうして、ゴールデンフィンガーが災いして、オレはカノジョと別れてしまった、オレは今、愛の手袋に頼ろうとした自分の愚かさを痛感しつつも、愛の手袋が男女兼用になることを有難く思っている。
そして、しばらくしてオレは、さらに自分の愚かさを痛感した。それはオレの元カノジョが女の個性を尊重することだけが生きがいみたいな別の男に乗り換えたこと---もちろん、飛び移ったのではなく、片足はA列車、片足はB列車みたいにしていた時期を踏んだ上のことである---を友人から聞かされた時であった。あの日、オレは自分の愛撫の千変万化に酔いしれていて、カノジョが当の昔から別の男に感化され、変化していたこと、そして、オレ一人を好きだった頃より、はるかに賢しく進化したカノジョの策謀に少しも気がつかなかったのである。