5年半に及んだ小泉政権のキャッチフレーズは、「改革なくして成長なし」であり、「聖域なき構造改革」であった。この路線を進めるため、官が行ってきた行政サービスを徹底して民間に移し、「小さな政府」の実現を目指した。官は民間では出来ないことに徹するのである。
この路線は安倍政権にも継承されているようであるが、前政権に比べると、今ひとつ政策の軸足が定まっていない。「官から民」への移行についても、官僚などによる秘かな反撃が始まっていると聞く。既得権限の擁護に向けた官僚の抵抗は、常にしぶとく巧妙だ。
「官」の独占による非効率な行政サービスや目を覆うような腐敗を見ると、「官から民へ」という流れは原則としては正しい。一方、徹底した競争原理の導入による効率化の追求は、新たな格差を生み、いわゆる「落ちこぼれ」を生み易い仕組みであることも事実であろう。
最後は我々国民の選択になるのだが、こういう難しい選択を迫られた時に大事なのは「歴史に学ぶ」姿勢だと思われる。今回は、中世に起きた「官と民」の争いをなぞってみた。
実は、今から300年以上も昔のロンドンで、火災保険事業を巡り「官」(ロンドン市)と「民」(世界初の火災保険会社)との間で激しい争いが展開されていたのである。

中世のロンドン橋から見たシティー
(ホームページ「橋の上の輪舞曲(ロンド)〜 ロンドン橋の歴史」から)
このてん末をきちんと書いた本を捜していたのだが、偶然にも日野の図書館で見つけることができた。H・E・レインズ著の「英国保険史」がその本であり、明治生命(現明治安田生命)が創業100年の記念事業として翻訳した500ページを超える大作である。
内容は、「イギリス損害保険発達史」と呼んだほうがよいくらい、損害保険関係に圧倒的なページ数が割かれている。生命保険会社がこのような本を出していたことに敬意を払いたい。
ロンドン大火と火災保険の誕生
300年以上も昔に起きた「官と民の争い」のてん末に入る前に、そもそも世界最初の火災保険がどうして誕生したのか、その経緯を簡単に辿っておきたい。
知っている方もおられると思うが、火災保険が誕生するきっかけとなったのは、1666年に発生したロンドン大火(The Great
Fire of London)である。
1666年9月1日(日)の深夜に、ロンドン橋付近のパン屋のかまどから燃え広がった火災は、4日間燃え続け、シティの壁の内側にあった1万5000戸のうち1万3千2百戸(88%)を燃やしつくした。大火以前のロンドンは、殆どが木造家屋であり、街路も狭かったのである。
余談であるが、ロンドン大火に先立つ9年前の1657年(明暦3年)には、江戸時代最大の大火が発生している。有名な「明暦の大火」である。この火事で、江戸城の天守閣を含む外堀内のほぼ全域が消失し、死者は最大10万人に及んでいる。別名は「振袖火事」である。「振袖」の由来はそれだけで興味深いが、ここでは割愛する。
下の絵は、テームズ川の対岸から見たロンドン大火の様子である。凄まじい炎上の様子が良く分る。ただ、火事の規模に比べ、幸い死者は少なかったようである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロンドンは、この大火を境に、木造から現在のような煉瓦と石造りの町並みに一変する。セント・ポール大聖堂をはじめ教会堂の復興が行われる一方、道路の幅員も大幅に拡充され、現在のロンドンの骨格が出来上がっていく。
ロンドンの復興が進む中で、火災保険の制度が誕生し、急激に普及を開始する。
火災保険の仕組みを考案し、最初の引受を開始したのは、建築業者兼医師のドクター・ニコラス・バーボンである。大火の翌年1667年のことであった。ただ、火災保険の誕生した年については諸説があり、もっと後ではないかとの意見もあるが、ここでは大方の説を採用する。
世界最初の火災保険の「仕組み」
ドクター・ニコラス・バーボンと3人の仲間を共同事業者とする、世界で最初の火災保険引受会社(「the
Fire Office」 ファイアー・オフィス)が考案した火災保険の仕組みは、現在から見ても実に興味深く、随所に驚くような叡智が見てとれる。ただ、この会社は現存していない。
さて、その仕組みであるが、まず驚くのが支払い対象範囲の広さである。
世界最初の火災保険は、「火災」だけを支払対象としたのではなく、家屋が全壊、破損、損傷した場合も支払いの対象としたのである。日本の火災保険は、昭和30年代までは、文字通り「火災」しか対象としなかったことと比べると、その先進性は明らかである。
また、損害への支払方法は、金銭による補償ではなく、建築事業者による再建・復旧であった。
ニコラス・バーボンが建築事業者であった、という背景があるにせよ、火災保険が誕生の当初から「現物給付、現状復旧」という精神で運営されていたことは衝撃である。
何故衝撃かと言うと、現在アメリカで急成長を遂げているプログレッシブ社という革新的な自動車保険会社がある。この会社がこれから始めようとしている最新の損害サービスが、「現物給付」の発想なのである。事故車を引き取り、同じタイプの新車と交換してくれるのである。
話を戻そう。当時の火災保険の保険料は家賃に組み込まれており、掛け金の徴収漏れの防止が図られていた。一方、極めつけの工夫が、「ファイアーマーク」の発明である。下の写真を見て頂きたい。これがファイアーマークである。皮革や金属で出来ており、40センチ程の大きさである。

www.glosfire.gov.uk/sections/schools/images/s
火災保険が成立し、保険料を頂戴すると、このファイアーマークが交付される。火災保険の加入者は、このマークを家の門や扉など最も目立つところに貼り付けるのである。
公設の消防機能がなかった当時は、火災保険会社が、各自で自前の消防隊を保有していた。
火災が起きると、保険会社は消防隊を現地に急行させるが、その際、自分の会社に契約されている物件かどうかを見分ける目印がこのマークなわけだ。自社の契約物件なら必死に消火活動に当たるが、他社の契約や、無保険の物件ならサッサと帰って来たという。
このファイアーマークには、思いがけない効用もあったようで、このマークが貼ってある家は放火に遭いにくかったという。何らかの恨みで放火をしても、直ぐ再建されるから放火の意味がないためだそうである。一方、保険料は、木造とレンガなどの耐火構造とでは2倍くらいの差が設けられ、合理的な仕組みとなっていた。
当時の記録によると、この火災保険事業によって、ニコラス・バーボンは一時「莫大な利潤を得た」そうである。一方、儲かりそうな産業には新規参入が相次ぐのは洋の東西を問わない。
ロンドン市の火災保険参入
ニコラス・バーボン等が始めた火災保険会社以外に、1680年初頭までに相次いで3つの火災保険機構が設立される。ロンドン市に4つの保険会社が乱立したわけである。
この中にロンドン市営の火災保険(the Corporation of London)が含まれていたのである。
さらにこのロンドン市営の火災保険は、その仕組みはニコラス・バーボン達の考案した仕組みをそのまま盗用したものであるが、更に次のような特徴を備えていたのである。
(1)民間保険の方が、保険期間31年間が最長だったのに対し、市営保険は期間51年や100年、あるいは「永続(永遠に火災保険を担保)」という保険まで売り出している。
(2)また、民間の開発した保険料テーブルをそのまま拝借し、それに割引を行っていたのである。
(3)保険の引受人は、ロンドン市の収入役(the Chamberlain of London)が自らあたり、収益は市に帰属する、という内容になっていたのである。
この中でも、特に、保険料テーブルは、保険会社の生命線であり、この盗用と割引は民間損保の怒りを招いたことは論をまたない。下の表が民間とロンドン市の火災保険料を比較したものである(「イギリス保険史」より)。ロンドン市の保険料は無茶苦茶である。民間の盗用は明らかであるが、保険期間「永続」や「100年」の保険料がこの水準では大赤字や経営破たんは間違いない。

当然、ニコラス・バーボンが率いる民間火災保険会社は、官はこの世界から撤退するよう猛烈な抵抗を企てる。彼らの言い分のポイントを原文のままで引用すると、「無分別と知識の欠如で市民全体に損失をもたらす」ということに尽きる。火災保険の事業を開始して以来の火災事故を詳細に分析し、火災保険事業がいかに難しい、リスクを孕んだ産業であるかを証明するのである。
火災保険について知識も経験もないロンドン市が、専門分野に参入しても多くのリスクを抱えるだけ、という論点が結局は決定打になったようで、ロンドン市は開始から2年も経たずに、火災保険事業から撤退する。預かっていた保険料は全て契約者に返還し、契約を解消する。
実は、ニコラス・バーボン達の始めた火災保険会社も、結局は経営破たんをして歴史から消える。大儲けをしていたはずが、実は将来の支払に備えるべき備金まで食い潰していたのである。
全く同じようなことが明治中期の日本でも発生する。日本で最初の火災保険会社としてスタートした東京火災保険(後の安田火災、現損保ジャパン)の成功を見て、雨後のたけのこのように多数の火災保険会社が誕生する。
一方、会社間の保険料値引き競争の激化や、函館大火など相次ぐ大火の結果、明治末期までに多くの会社が破たんしていくのである。明治26年以降に発足した保険会社16社のうち、9社は明治40年前後までに消滅した。当時は、小規模な泡沫会社が多かったのである。
ところで、もし、ロンドン市がそのまま火災保険事業を続けていたならば、間違いなく多額の債務を抱え、結局は市民の税金を投入する破目に陥っていたはずである。結局、ロンドン市は実に賢明な決定をしたことになる。
逆に、ニコラス・バーボン達は、自分達がロンドン市を追及したその「リスク管理」の甘さから破たんする。
「官から民へ」も決して万能ではない。官でも民でも、「リスク管理」がしっかりしていなければ、結局は破たんが待っている。ただ、激しい競争の中で「リスク管理」に長けているのは民であることは間違いない。その民の知恵をどう活かすかが政治家の腕の見せ所である。 |