自民党は8月19日、衆院選のマニフェスト(政権公約)「自民党からの120の約束」を発表した。最大の約束は、「郵政民営化に再挑戦」、である。先の参議院で否決された民営化関連6法案を、「次期国会で成立させる」、と明記した。
党本部で記者会見した小泉首相は、「最大の争点は、郵政民営化に賛成か反対かだ」、として、単純に二者択一を迫っている。自民党の造反議員へは「刺客」と呼ばれる対抗馬を差し向け、郵政問題について国民に選択の機会を与えている。これは、これで正しい方法と思う

北海道新聞・ホームページより(8月20日)
この一連の動きによって、今回の総選挙は近来にない盛り上がりを見せている。
政治番組を放映するテレビ番組の視聴率は跳ね上がっているそうである。
一方、肝心の郵政民営化の内容については、相変わらず議論が空転しており、我々庶民から見ると、何を選択させられているのかがサッパリ分らない状態が続いている。
民営化をすれば、本当に郵便局は激減してしまうのか、それとも、「庶民にとって身近で、便利なネットワーク」、となるのか?
220兆円にも上る郵便貯金の巨額な資金が、本当に民間に流れて効率的な資金の活用が可能となるのか、それとも外資等のハゲタカの餌食となってしまうのか?
双方の言い分があまりにも違っており、庶民には判断の根拠すら与えられていない。
そこで、今回は、郵便局の歴史を紐解きながら、庶民にとっての郵便局とは何かを考えて見ることにした。また、民の力を最大限活用する米国でも、郵便は国営である。自由経済のモデルである米国から何を学ぶか。なお、筆者は、民営化問題については全く中立の立場である。 郵便局の起源と「特定郵便局」
日本の郵便制度の創設者は、前島密(まえじま ひそか)である。明治4年(1871年)4月に、日本の近代郵便制度はスタートした。当時の郵便ポストは、「書状集め箱」、と呼ばれ、東海道を中心に87個所に設置された。郵便も、始めは、限られた地域で限定的なスタートを切ったのである。

「書状集め箱」(逓信総合博物館、ホーム・ページより)
前島は、明治新政府からイギリスへの派遣を命ぜられ、その郵便制度を学んだ。
彼が、何より感動したのは、「全国均一料金」の郵便制度であった。
郵便の前身は、江戸時代に発達した民間の飛脚制度であるが、「料金がまちまちで、地域によっては非常に高く」、「届くまでに時間がかかり過ぎるし、届けられない地域がある」、という問題を抱えていた。
前島が考えたのは、「利益優先ではない、公共サービス」の精神で貫かれた郵便制度であった。
ここに、歴史の皮肉を感ずるのは、筆者だけではない筈である。
前島の発想は、「官による民への参入」、ということになるからである。
当然、飛脚業者は猛烈な抵抗を繰り返した。一方、明治政府には全国に郵便ネットワークを築くための資金が枯渇していた。この問題を乗り越えるために、さらに2年を必要としたのである。
この問題を解決した前島の知恵が、「民間活力と民間資金の活用」、である。
先ず、前島は飛脚問屋の総代である佐々木荘助と直談判を行い、郵便システムへの飛脚ネットワーク、つまり民間活力の取込に成功する。
また、かつての庄屋層(西日本では名主)ら「地域の名士」に、土地や建物の提供を願い出たのである。庄屋層をその気にさせるため、前島はいくつかの妙案をひねり出している。
先ず、取扱所の所長は、官吏に準ずるという礼遇をし、さらには、身分は旧幕府のご家人なみの判任官としたのだ。無料で、土地・建物を供出させる対価が、身分と権威だったのである。
また、昔の士分の俸禄が米だったことにならい、給与は玄米1日5合と決めたのである。
今と違って、「金はないが、知恵があり、民を上手く使う」、のが官だったのである。当時の庄屋層は、この新政府の待遇に感激し、犠牲の精神を発揮して郵便事業に参加したのである。
これが今の特定郵便局の原型、「郵便取扱所」、である。写真は、典型的な取扱所の風景である。

豊岡郵便取扱所(www3.coara.or.jp/~primrose/mati16-2.html)
こうして明治6年4月1日には全国をネットする一律料金制度の郵便システムが完成したのである。その料金は2銭、東京と大阪を3日と6時間で結んだ。
その特定郵便局は、現在約1万9千局となり、郵便局全体の約76%を占めている。
特定郵便局の言い分を代弁すると、「国家が苦しい時に、犠牲的精神を発揮して貢献してきたのに、今更民間に戻れとは虫が良過ぎる」、というところであろうか?一方、特定郵便局長は、実質世襲であり、特権に支えられ、効率化の妨げとなっている、という批判も良く聞くところである。
ただ、こうして歴史を辿って見ると、「官か民か」」、という二者択一がどこか滑稽に思えて来る。
要は、民の良さをどうやって官が活用出来るか、という「制度設計」に尽きるのである。
現在の論争では、その肝心な「制度、仕組み」、が全く見えて来ない。
アメリカの国営郵便局(郵政公社) 「官から民へ」、という流れの頂点にあるのがアメリカであろう。そのアメリカでも、郵便は国が経営していると聞いて、米国郵便事情を調べて見た。
先ず、米国の郵便公社も200年以上の古い歴史を刻んで来たことが分る。

米国POSTAL OFFICEのホーム・ページから
ホームページを見ると、米国郵便公社は毎日、10億通もの郵便物を1億4千万軒の家庭や会社に運んでいるいると誇っている一方、「自分達は、事業感覚を持って経営している」、という一言を付け加えている。
筆者が、この一言が嘘ではないことを知ったのは、郵政公社内部監査報告が、堂々とホームページで公開されていたからである。内部監査は、郵便監査人(Postal Inspector)によって実施されている。
面白いのは、オハイオ州マンスフィールドにある中央郵便局への業務効率監査の報告書である。ここの作業効率が、以前に比べて相当の改善をしているが、未だ目標の90%にしか達しておらず、相当の改善の余地があること、また、経営層が業務効率をきちんと測定しておらず大きな問題がある、指摘していることであった。
また、この中央郵便局が隣接する郵便局と合併・統合した方が、業務効率が各段に改善する筈である、とも指摘している。郵政民営化論議では、こういう「仕組み」への言及が全くないのである。 アメリカの郵便公社は、単に、「官が経営している」、という形式ではなく、プロの監査人によって厳しく経営の質が問われており、それが外部に公開されている。
大事なのは、官か民か、という形式ではない。
内部監査による経営の監視や情報公開は、民間が生み出した経営の質を高める知恵である。このような民間の知恵をどう実現するかが、長い目では重要だと思う。
話は変わるが、筆者は、先月になって初めて簡易保険の保険金請求を経験した。
札幌で一人暮らしのお袋が、今年の3月に大腿骨骨折という大怪我を負ったためである。
札幌郊外の特定郵便局に何度か通って、ようやく保険金請求の書類が整った。
それまでも、懇切丁寧に書類の書き方や必要書類の取り付けを教えて貰っていたが、何とその場で、ウン十万円という金額が下りたのである。こんなことは民間では絶対に考えられない。さらにビックリしたのは、先日当該担当者から東京の拙宅に電話が架かって来たのである。
電話によれば、「お母さんの場合、偶然の怪我ですので、さらにウン十万円が下ります」、という追加支払可能の連絡であった。この滅私奉公の精神は官運営の良さである。
民間の保険会社では、請求があって始めて払う、という原則で運営されているのである。
そのためかどうか、生保に端を発した保険金不払い問題は、損保にも波及しており、多数の保険金不払い事例が明らかになっている。民だから問題がない、というのも単純過ぎる発想なのである。官も民も、その欠点を補う制度設計が必要である。
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